
自宅前の駐車場に植えているモッコウバラ。

夫が昨年秋?3本植えてくれた、エンドウ、種類は知らない。
絹サヤ位の感覚で採って食べている。
75年生きて来た中で、これほど忙しく、気ぜわしく、疲れた4か月は無かった気がする。
1月始めの「壁クロス」の張り替えのため、年末から私の部屋の家具類すべて大移動、
それも一人で、夫が手伝ってくれたのは「テーブル」一つだけ。
1月9日だったか?終わったら又大移動。(これは模様替えも兼ねたから)
やっと終わって一息ついた頃の1月31日。
夫が腹が痛いから、「行きつけの近所の病院へ乗せて行ってくれ」と。
待合でレントゲンなどの検査結果を待ち、
「緊急手術が必要となるので、此処では出来ないので」と
大病院を紹介され、紹介状を持って、自分の車で連れて行った。
これが大失敗!の始まり。
救急車で行くべきだった。 次々と検査に回され、その都度私が車椅子に乗せて、大移動。
何しろ大きな病院、次は何番へ~次は何番へ~と。
あとから足が痛くて困った程だった。
結果、「手術をしても、色々とリスクを伴いますから、点滴で様子を見ましょう」。
抗生物質の強力な点滴を受け、水もわずかしか飲めない生活が続いた。
腕には栄養のための点滴も。
いくらかマシになって来た、と思った頃に突然熱が出て、震えが来た。
2月19日の深夜~20日に掛けて、緊急手術。
小腸を取り出して、2カ所切り取り。
また絶食。
腹膜炎になり、次には胆嚢炎。
左手の腕には点滴2種。
尿の管も付いた。
腹水を抜く管、胆嚢の液を抜く管、全部で4本の管を付けられた。
身動きできない有様。
それでも最近の医学は有難い。
手術をしたあと、何日目からか?リハビリの方が午前午後と付き添って歩く練習をしてくださった。
夫は嫌っていたけど、「歩けないようになるからよ」と。
腹部は、測ったわけでは無いけど、見た眼「30センチの傷跡」
「何時命が切れるのだろうか?」と心配が続いた。
最初説明を受けた頃、「自宅は近いから大丈夫です、車で30分ですから」と言ったら、
先生が「エッ?」と言う顔をされたのを覚えている。
と言うのは、峠の上に在る病院で近いと言っても、通いなれた道路だったから。
それも今年は暖冬で、雪が降らなかったから。
いつもの年だと、雪が怖いからこの度のような事になったら、行けない。
その上、「コロナウイルス」の件で、特に緊張した病院通いだった。 3月17日に無事退院。
でも胆嚢の液を抜く管は付けられたまま。
キズの手当をする「ガーゼ」が手に入らない。
例の「マスク」用に買う人が多かったから。 だから、余計に、我が家以外のマスクを縫う気にならないのかも知れない。
病室で夫に「ガーゼがどこの薬局に行っても売り切れで、手に入らないのよ」と話していた。
そうしたら、先に退院された方が「良かったら使ってください」とガーゼをくださった。
こんな嬉しい事は無かった。
3月31日に退院後初の受診、ここで胆嚢の液を抜く管が外された。
本当にヤレヤレ、だった。
素人なので、「胆嚢に繋がっている管が抜けたら」とヒヤヒヤした毎日だった。
夫はそれ以上だけど。
4月14日には2回目、完全に心配が要らなくなった。
お酒も飲んで良くなった。
山の家へ行く時は私の運転だったけど、今では一人で行っている。
4月26日には、引越し業者さんのお世話になって、息子達と私達が、2階と1階を入れ替わった。
これも「夫が1階の方が生活し易いだろうから」と。
私が画策している事、夫が「コロナウイルスの心配が無くなるまでダメだ」と。